成人T細胞白血病

おはようございます、jose_koffeeです。成人T細胞白血病はご存じですか?先日、この病で義理の母が旅立ちました。1人にでも多くこの病のことを知ってほしく、記事を書きます。

成人T細胞白血病

以下の特徴があります。

  • HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス1型)というウイルスに感染することが原因で起こる病気
  • HTLV-1の主な感染経路は、母乳による母子感染
  • HTLV-1に感染しても、成人T細胞白血病を発症する確率は約5%
  • 患者年齢は高齢者に偏り、40歳以下での発症は極めてまれで、発症のピークは60歳代の後半
  • 沖縄、鹿児島、宮崎、長崎各県のキャリア率は約5%で、世界的にみても最もHTLV‐1地域集積性が強い。大都市でも増加傾向

出典:がん情報サービス国立感染症研究所HoT LiVes ほっとらいぶ HTLV-1 情報ポータルサイト

確率は当てにならない

こんな話しを聴いたことがあります。「飛行機に爆弾を持った人が乗る確率は低い。2人となると尚更。ならば自分が爆弾を持ち込めばいい。」当時は面白いジョークだけど、的を射ていてすごいな、くらいの感想でした。

この話は萱沼洋輔さんがわかりやすくご紹介されているので、ぜひご一読を。(日本ではそんなに有名な話ではないのかもしれません。解説もあまり出てきませんでした。)

義理の母がHTLV-1キャリアで、その後、成人T細胞白血病を発症したこと。発症は5%とそれほど高くない確率です。でもね、身近に起きてしまったら、確率なんて関係なくなるんです。

確率なんて当てにならないな…そのことを痛いほど思い知りました。

入院は辛くても通院を

アダ・ガーデンホテル沖縄〜その1〜でも書いた通り、義理の母は再入院を拒んでいました。むしろ通院治療も受けておらず。

5人に1人は普通の生活に戻れると、先生→義理の妹→夫づてで聞いていました。ただこの伝言ゲームがうまくいっていなかったのか、先生が希望を持たせて治療を受けさせるために意図的だったかは不明ですが…

ほとんどの場合死に至ることが多いと、亡くなった後にインターネットで知りました。なぜもっと調べなかったのだろう?と、後悔先に立たず。

義理の母は発症するまで至って健康で、歳の割に体力があったこと、1回目の退院後に数値改善が見られたこと、そして発症前ほどではないが退院後に体力が回復したこともあり、私は楽観的になっていました。

そのこともあり、夫と私は亡くなる前の週末に、治療を受けるよう2回目の説得をしようと考えていました。治療はもちろん辛いだろう、でも入院じゃなくていいからせめて通院治療は…と。孫の成長を見てほしかったのです。

再入院

ですが説得をしようと思っていた週末、義理の母は救急車で運ばれ、再入院となってしまいました。

夫とお見舞いに行くと、ほとんど寝転んだ状態でした。それでも「今日は体が起こせそう」と言うので、ベッドの背を少し上げて話しをしました。

途中、主治医の先生がいらっしゃいました。退院して自宅でゆっくり過ごすという希望に添いたい、という趣旨の話をされていました。夫は先生と部屋から出て、少し話しをしていました。

この日が、義理の母が生きているうちに顔を合わせた最後の日になります。娘のエイサーの動画を見せた時に、「孫の運動会を見に行くのが夢だったんだけどね」と言っていたことが、頭から離れません。「来月あるから見に来てね」と言うと、「体調見てからね」と微笑んでいました。

コロナで保育園のイベントも参加制限があり、昨年度は保護者2人まで参加OK(=我々夫婦のみ参加)でした。でも今年度からは制限なしとのこと。お義母さんにもう少しで見せてあげられたのにな…

余命1ヶ月

夫は病室の外で、余命がどのくらいなのかを質問していたそうです。先生から告げられたのは「長くて1ヶ月」。

夫とも、長くはないのだろうと前に話していました。ただ具体的な期間を話したことはなく、私は漠然と10数年は難しい、治療をしながら5年くらいだろうか…と考えていました。余命1ヶ月というのが、信じられませんでした。

さらに辛かったのが、義理の父にそのことを知らせた時でした。実は義理の母と同日・数時間前に、救急車で同じ病院に運ばれていました。夫が余命1ヶ月であることを告げると、義父は私の名前を呼んで「どうするかな…」と言いました。義父の悲しい表情は、この時初めて見た気がします。

旅立ち

私達がお見舞いした2日後、義理の妹は退院・訪問診療の打ち合わせを済ませていました。義理の両親・妹家族は同居していたので、余命までの短い期間ではありますが、孫の顔も見られて喜ぶだろうと思っていました。

しかしその夜、状態が良くないと連絡が入りました。義理の妹家族と私達家族、全員そろって病院に駆けつけました。

お見舞いもでしたが、最期の時も、小学生以下は病棟に入ることが許されませんでした。そのため病室に入れたのは義妹・夫・入院中の義父でした。

義妹の旦那とその息子、私と娘・息子は、車で待機していました。義理の母が旅立つ1時間ほど前にテレビ電話を繋ぎ、「こんなことをしたかった」という話しをしたり、眠そうな我が子にも「ばぁばぁに声かけて」と話しをさせました。

義理の母から言葉が出ることはなく、息をするのも辛そうでした。それでもテレビ電話越しにこちらを見てくれていたので、子ども達の声は届いたと信じています。

義理の母と私

私は決していい嫁ではありませんでした。義理の母と言い合いをしたこともあります。それでも、遊びに行くといつも暖かく迎えてもらいました。

最後のお見舞いの翌日だったと思います。義理の母から夫に電話がありました。私にも代わってと、言われたのは「お見舞い来てくれてありがとう」でした。

そして腕が腫れていると言うので、「ナースコール呼んだ?呼んでないなら私達から電話するよ?」「こんな時は遠慮しないでいいんですよ!」「(ナースコール呼べばいいのよね、と少し不安そうに言うので)お義母さんでナースコール呼んで、看護師さん来るまで電話続ける?」という話しもしました。

義理の母が「大丈夫よ、ちゃんと呼ぶから」と言うので、電話を切ることにしました。義妹にも同じく電話をかけていたようで、義妹が病院と連携し、看護師さんが病室へ向かったことを確認してくれました。

最後の最後まで、ある意味、義母と私らしい会話だったなと思っています。

急性の成人T細胞白血病

義理の母は成人T細胞白血病と発覚してから、わずか3ヶ月でこの世を去ってしまいました。

孫のことが大好きな人でした。

お義母さん、孫達・私達のこと、見守っていてね。