【沖縄】旧盆・ウンケー

おはようございます、jose_koffeeです。

ウンケー

沖縄は旧暦に合わせた「旧盆」にお盆をします。初日はご先祖様をお迎えする日で、「ウンケー」 と言います。

おむかえ(お迎え)

おむけー

うむけー

うんけー

という具合に音が変わったんだと思われます。ウチナーグチ(沖縄方言)では母音「あいうえお」が「あいういう」に変わることが多いです。ここポイントで、必ずではありません。なのでウンキーにはならず、ウンケーです。

ウンケーといえば?

ウンケージューシーです。そういえば今年は、あのCM見ていないような…

Youtubeで検索すると、なんと11年前にアップされていますね(; ・`д・´) ナ、ナンダッテー!! そんなに昔からあったっけ?

今晩はウンケージューシーとアーサ(アオサ)のお汁をみんなでいただきます。

ジューシー

「して…ジューシーってなんね〜?」って、お思いの方へ。ジューシーには2種類あります。1つはジューシーメー(クファジューシー)と呼ばれる炊き込みご飯。もう1つはジューシーグヮー(ヤファラジューシー、ボロボロジューシー)と呼ばれる雑炊。(ヤファラジューシーは、今回初めて知った呼び方…!)

ジューシーメーと言うと必ず思い出す、『ちんぬくじゅうしい』。学童で習い、よく歌っていました。いや、待てよ…

実家で夕飯を食べる時は、「♪ ちゅーぬ ゆーばん ぬーやがてー?(今日のお夕飯はなんね〜?)」っていまだに母に歌いながら聞いてますね(◦ˉ ˘ ˉ◦) 母や姉から電話がきた時も「♪ ぬーやがてー?(なんね〜?/どうしたの?)」と出ています。親父ギャグというか、つい歌に乗せる癖があります。

さて遠回りしましたが、ウンケージューシーはジューシーメー(炊き込みご飯)になります。

f:id:jose_koffee:20240814020938j:image出典:オキハム

上記のオキハムさんのじゅーしぃの素は炊飯器で炊けるので、お土産にもいいかもです。

初盆(ミーボン)

ここ1年で義理の両親が他界したため、我が家は初盆に当たります。夫が仏壇持ちゃーになったのに加えて今年は初盆なので、お盆回りもしません。

◯◯する人 +er

上記の「持ちゃー」のように、沖縄では〇〇の人と言う時、語尾にerを付けます。畑(ハル)の人でハルサー、いばりん坊はイバヤー、眠い(ニーブイ)子をニーブヤー、食いしん坊はガチマヤー(ガチマイとも)、沖縄の人でウチナー(ウチナーンチュとも)、内地の人でナイチャー。こんなところでしょうか?

なんだか英語みたいでしょう?笑 でもオジー・オバーター(おじいちゃん・おばあちゃん達)も言うから、昔からある表現方法だと思います。

そういえば私の母方のおばぁは、内地・ナイチャーじゃなくて、大和・ヤマトンチュと言っていましたね。

ふと思い出す2人のおばぁとのやり取り

私が愛知の大学に進学すると伝えると、もう他界してしまった父方のおばぁには「なんで内地行くの?」と聞かれました。責めた感じでですね。私にとって父方のおばぁは、少し恐い存在でした。とは言え、いつでもおばぁん家においで、たくさん食べて食べて(カメーカメー攻撃)の人で、おばぁのことを好きではあるのです。

一方、母方のおばぁに愛知に行くと伝えた時。「あい、jose_koffeeちゃん!気を付けて行っておいでね〜」とのこと。後日カレンダーには「jose_koffeeちゃん、大和へ」と書いてありました。前述の「内地」という表現ばかりしていた私ですが、「大和」という表現は、少しあったかいな〜なんておぼろげに思ったのを今でも忘れません。

母方おばぁ

ところで、母方のおばぁはホームに入っているものの、90歳を越えご存命。コロナが世に出てくる前は、 ホームによく足を運びました。結婚前に母と何度も(父も行くことが多かったですね)、婚姻届を出したその足で夫と、娘が生まれてすぐの敬老の日に家族3人で。そして娘が1歳になった頃にコロナが。

コロナ流行後に会いに行ったのは、ここ1年くらいでしょうか?1人で会いに行ったり、母と会いに行ったり。痴呆が入っていて、残念ながら私のことは覚えていません。 おばぁ自身のことも23歳と言うので、仕方ないですね。お互いの自己紹介から始まり、写真を見せながら話して、お茶菓子食べてという感じです。

夏休みもや連休中はよく、いとこ達とおばぁん家に入り浸ったものです。

父方おばぁ

恐かったけど好き、この複雑な気持ちは、亡くなった後に父方のおばぁん家に何度か行って、ますます強くなります。

おばぁ亡き後、伯父が主人になってからは、屋敷がとても暗くなってしまいました。人を迎え入れるって、誰にでもできるわけじゃないんだと実感し、家は住人を投影するんだと身をもって知りました。悲しい出来事ではありましたが、建築士を目指す私にとってこの経験は尊く、いつでも迎え入れてくれたおばぁに感謝しています。

家って人が住んでこそ家で、愛情をかけてこそ「場」が出来上がるんですよね。みんなが集まる「場」を守っていたおばぁが亡くなり、住んでいた伯父も今年に入って亡くなってしまいました。

我が家も人を招き入れよう

父方・母方、どちらのおばぁん家も、住まい手が変わり、コロナで親戚集まりも遠のいてしまった間に、訪れることが難しくなってしまいました。

でもそのことでわかるのは、おばぁ達が「いつでもおいで」という気持ちでいたということ。義理の両親も、いつでも家においでと言う人達でした。

こんな風にご先祖に思いを馳せ、今年のお盆も過ごそうと思います(⁎ᵕᴗᵕ⁎)